伝統産業ガイドブック 2021年3月発行
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●岩槻の人形に属する事業所については、p03から紹介します。●浦和のうなぎに属する事業所については、p10から紹介します。●大宮の盆栽に属する事業所については、p09から紹介します。02岩槻の人形発祥の経緯及び指定理由 文政13年(1830年)に奉納された岩槻区仲町1丁目にある秋葉神社の常夜灯の台石には、「雛屋幸蔵」という名前が刻まれている。また、武蔵一宮氷川神社の社家日記(東角井文書)天保5年(1834年)の項にも、岩槻で「雛一対」を「代金弐分」で購入という記載がある。 市内では現在でも岩槻区を中心として、江戸時代以来の手しごとの伝統的技術により人形を製造する事業所が集積している。また、昭和53年2月に「江戸木目込人形」、平成19年3月には、「岩槻人形」が経済産業大臣から伝統的工芸品に指定されている。 岩槻の人形については、ひな祭りや様々なイベントを通して、広く市民に親しまれる存在となっている。浦和のうなぎ発祥の経緯及び指定理由 県立文書館収蔵「会田家文書」(江戸後期の古文書)には浦和から江戸赤坂の紀州藩邸にうなぎを献上していたことが記されているほか、「浦和宿絵図」(弘化年間・1844〜48年)に「蒲焼商」の名が記載され、江戸時代以来、浦和の名物として市民や来訪者に親しまれている。 市内では現在でも浦和区を中心として、江戸時代以来の「裂き」「串打ち」「焼き」「たれ」などの手しごとの伝統的技術を継承する老舗が集積して活動している。大宮の盆栽発祥の経緯及び指定理由 江戸の町で流行した盆栽は、今の台東区、文京区に盆栽職人が集積していた。「大宮盆栽村」は関東大震災で被災した東京の盆栽職人が、盆栽の栽培に適した広い土地、新鮮な水と空気を求めて集団で移り住み、大正14年(1925年)に誕生した。現在、盆栽は世界に広まり、「BONSAI」という言葉は世界の共通語となっている。 市内では現在でも北区を中心として、江戸時代以来の手しごとの伝統的技術により盆栽造りを営む盆栽園が集積し活動している。 また、旧大宮市に編入されてからは、行政上の「盆栽町」という町名になったほか、周辺の案内看板等にも多用されており、市民にも広く親しまれている。さいたま市伝統産業/伝統産業マークさいたま市では、「岩槻の人形」「大宮の盆栽」「浦和のうなぎ」の3つの産業を伝統産業に指定しました。さいたま市では、伝統産業及び伝統産業事業所を、さいたま市ブランドとして広くPRするため、伝統産業マークを作成しました。さいたま市伝統産業伝統産業マーク

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